私と中丸雄一の12年間。
すご〜くお久しぶりです。シュシュです。
先に謝ります!!
ものすごく久しぶりの更新なのに申し訳ない!!
今回はすごく重い内容になると思います。
なぜなら、私の13年目になるジャニヲタ人生、
この人無しでは語れないから………
そう、今回はKAT-TUNの中丸雄一さんについて書こうと思います。
私と中丸雄一の12年間。
を語るので、主観のみでお送りします(笑)
え〜……KAT-TUNは今年14周年となりますが、
ここまでいろいろな事がありました……。
少し目を瞑りたくなるような出来事に触れたりするので、苦手な方はこの先読むことをおすすめしません。
また、「あ、この人解釈違いだな。」と思ったらすぐ読むのを辞めていただきたいです。
だって…嫌われたくナィもん……………
サムネ用に画像置かせてください(笑)
と、いうことで始めていきましょう。
私が中丸くんを認知したのは『ジャニーズカウントダウン 2007-2008』を観ていた時。
大晦日の夜、
ボーッと見ていた"ジャニーズの歌番組"で、
ふとした瞬間にギュン!と目に飛び込んできた
細身で茶髪の彼に、釘付けになりました。
当時13歳の私は、アイドルといえば松浦亜弥。
そのため、ジャニーズへの関心はゼロ。
そんな私でも、
ごくせん2や野ブタをプロデュースで活躍する
「亀梨と赤西」は知っていたし、
その2人が所属する「KAT-TUN」という
不良っぽいグループが出てきたということも
認識してた。
毎週観ていたのにも関わらず、
そこで共にKAT-TUNが出演していたのを知るのはもう少し後の話。
でも、それを観ていたお陰(?)で、ハルカナ約束などKAT-TUNのデビュー前の楽曲が脳の奥の方に刷り込まれていた(笑)
さて、そのカウコンでの中丸くんに一目惚れした私は
冬休みの間奇跡的に録画してあったカウコン映像のKAT-TUNの部分や中丸くんの映り込む部分のみ再生する日々。
そして、学校が始まればクラスにいた、
Ya-Ya-yahやNEWSの担当をしていたギャル達に
「KAT-TUNの中丸くんが好きになった!」
と言いに行ったのを覚えている。(緊張した…)
さすがジャニヲタ!!と思ったのは、
新規にひたすら寛大!!!!
ドル誌の存在を教えてくれ、
「カートゥンKAT-TUN」という深夜番組の存在まで教えてくれ、
CDの発売日などもお知らせしてくれる……。
今考えると私かなり情弱ジャニヲタ。
だって当時はTwitterもインスタもなかった。
中学生の私たちは、
なけなしのお小遣いで4人それぞれ別のドル誌を買って担当のページを切り取り交換していた。
そして、初めて買ったKAT-TUNのCDが、
「KAT-TUN III -QUEEN OF PIRATES-」
タワレコで予約するのも、
発売日前日の夕方に少しだけ早く手に入れる事ができるのも、
その時初めて知った(笑)
今でも一番好きなアルバムです。
そして、そのアルバムを引っ提げた全国ツアーがあるということを山P担の子(今でも大親友)が教えてくれ、その子はバックに付くキスマイの玉森くん目当てで行きたいから…とチケットを2枚取ってくれた。
You&J………今思えばかなり便利。
そして、人生初のジャニーズコンサート!!
ライブに行くことを「参戦」って言ったり、
コンサート名を「女王魂」と呼んだり、
グッズで顔のみのどでかい団扇があったり、
剣の形したおもちゃみたいなペンライトだったり、
とにかくジャニーズ文化へズブズブと踏み込んでいくのが楽しくてしょうがなかった!!!
初の生中丸は、遠かったけど、
すごくキラキラしていて、カッコよくて、
面白くて、ダンスが上手くって、
ただただ見る。
ただひたすら見ていた。
というのが初参戦の思い出。
聖が、
声出さねぇと命はねぇからな!!!
って言うのが本当に怖かった(笑)
その後、かなりの速さでYou&Jに入会。
そんなこんなで、
KAT-TUNのメンバー内の関係性とか、
Jr.時代の喧嘩話とか、
いろんなことを知ったり、新しい景色を見たり、
よく言われる「あの頃のKAT-TUNは最強だった」の"あの頃"に中丸担としてオタクをしていた。(KAT-TUNはいつだって最強なんだけれども)
あの頃の私に、
「中丸雄一のどこが好き?」
って聞けばこう答えてたと思う。
「おもしろいところ」
それくらい彼は、"笑いを取ること"を積極的に取り組んでいた。いわゆる三枚目キャラを買って出ていたんだと思う。
それなのにカッコつけたりするのが好きだった。
面白いこと、楽しいことが好きなんだったと思う。
そしてすごくヤンチャだった。
MVのメイキングで繰り広げられる工場長シリーズや大喜利大会。
彼の周りにはいつもメンバーがいて、楽しい事が起こって、みんな笑っていて、その中心にいる中丸くんを見るのが本当に好きだった。
バンジー飛べなくてもいいよ、面白かったし。
ソロ舞台の告知面倒くさそうにしててもいいよ、みんな笑ってるし。
ある時、赤西の脱退が発表された。
もしも少しだけお姉さんだったらもう少し荒れていたと思う。
けど私はまだ子供で、事の経緯も把握しきれなくて、「これから5人か」としか思わなかった。
だって赤西まだ事務所いるし。だった。
5人での活動になって、それでも中丸くんは笑ってて、KAT-TUNは最高を届けてくれて、それで全然良かった。すごく身勝手なオタクだったと思う。
そんな中、ファンが騒ついた事件。
赤西の壮行会に中丸が行った。
元メンバーだし、タブーでは無かったはずなのに、
ソロ活動を見学しに行って、
挙句ステージに上がり、内容のない会話をした中西。
このフラットさで私はまた好きが重なった。
5人と1人、それぞれの場所でお互いのやりたい事をやっていくんだと思っていた。
KAT-TUNとハイフンは鎖(CHAIN)で繋がっているから絶対大丈夫だって思っていた。
2年後、
このCHAIN思想を一番主張していた聖が解雇された。
脱退ではなく解雇。
その違いくらいすぐ分かった。
聖だって辞めるつもりは無かったのは十分分かる。
残された4人より聖の精神状態をすごく心配したのを覚えてる。
Twitterで出てきてバンド活動を始めた時、
聖の呟く一語一句全て深読みした。
この人罪悪感と劣等感で自分で命絶ちそうって思ってたから。
新しい仲間で少しだけ元気そうな聖の映像を見た時安堵感でちょっとだけ泣いた。
命を賭けて守りたいと思ってる。
聖が中丸くんに対して語ったこの言葉が離れなかった。
彼らしい"好き"の表現の仕方。
4人になって、いよいよ本当にどうしようって思った。
KAT-TUN大丈夫かなって。
その年のカウコンを単独で決まった時は救われた気がした。
レポ見て、最初に挨拶でメンバーから謝罪と決意の言葉があったけれど大丈夫そうだったとか、KAT-TUNこれからまだまだいけるとか、あの頃のお姉さん方は本当に強かった。
全国ツアーもやって、
少プレレギュラーに冠番組、
ドラマに映画、
順調にグループは進んで行ってた。
言い方が悪いけど、
勢いでここまで来た彼らが地に足を付けて確実に踏んで行こうとしている。
そう感じた。
元々実力はあったと思うけど、
それが目に見えて、益々パワーアップして、
カタチになって現れていた時期なのかなと思う。
中丸くんの変化に気が付いたのはこの頃。
なんか目死んでない??
元々踊ってる時とかふとした瞬間に
「死んだ魚の目」って言われてたけど、
それとは違って、
笑ってても瞳の奥が空洞のような暗さを感じた。
ゾッとした。
こんだけ見てきててこの変化に気が付けなかったから。こんなになるまでに。
きっと、他のメンバーもいろいろ考えることがあったんだと思う。
勿論楽しそうな時はあっても、「あ、笑ってない」という瞬間を見る度に切なくなって、少しだけ見れなかった。
4人での活動になってまた2年が経った頃、
忘れもしないあの日がやってくる。
ベスア赤コートのトラウマ。
あの日私は大学の友達と呑みに出かけていた。
ベストアーティストは録画して帰ってから観ようかな〜くらいに思っていた。
一緒にいた友達の「KAT-TUNヤバくね?」という発言ですぐスマホを確認した。
FCからはメールが届いているし、KAT-TUNの出番直後のTLは地獄だった。
田口の脱退が生放送の歌番組で世間に発表された。
帰宅してすぐ確認したあの姿は一生トラウマで、今思い出しても心が締め付けられて苦しくなる。
ほら、中丸くんまたあの目してる。
亀の震える手と、上田の上擦った歌声と、
田口のどこも見ていないような目。
こんな顔をさせるために応援してるんじゃない。
どこかで「KAT-TUN大丈夫?」と聞かれる度に、隠れて1人で泣いていたのはいい思い出。
彼の人生だから。
もう大人だから止める権利はない。
3人から発信される言葉に、納得していないんだなとも思った。
「田口実は宝くじ当たって俺らに内緒にしてるんじゃないか説(笑)!田口の辞めてから何するの?」
冗談めかして尋ねる亀と
その発言をも笑って誤魔化す田口。
"卒業"が決まった期限付きのあの時期が一番辛かった。
そして、田口がちょっと嫌いになった(笑)
この頃発売された雑誌の中丸くんの1万字インタビュー。
辞めてしまったことを言葉で表すなら「しょうがない」だけどそんなキレイな感情じゃない。
きっと抜けていった(いく)現実を理解はしていても納得はしていないのだろうし、今までもこれからもKAT-TUNで居続けようとする中丸くんが納得することでそれを否定することになる。
赤西が脱退する際思った事を言えずにいた後悔から、それまで控えめだったのを変えていく努力をしたけれども、実らずに聖が解雇され、その度に無力さを感じているんだろうなと思った。
だからこそ、リーダーとかまとめ役って言われることに抵抗があるし、自分に対して高いハードルを置きがちだから、自分を自分で認められなくなっているんだと思った。
そんな事ないよ!ずっと立派だよ!!ってモンペBBAが出てきそう……。
誰にでも踏み入れられたくない領域がある
赤西も田中も才能ある人たちだったから、残念だけどしょうがない
の「しょうがない」でもあるんだなと。
この人の瞳の奥が死んでいったのはここか。と絡まっていたモノが少し解けた気がした。
あの例のベストアーティストについては、
限界を超える感情の振れ幅があったんだと思うんです。
ちょっと記憶が飛んでるんですよね…。
そうだよね。と答え合わせをした気がした。
メンバー間隠し事がなくて何でも話す、
その上で田口が悩んでいた事も知っていたけれども、
脱退に発展するとは思っていなかった。
話し合いも時間の許す限り何度も。
思っている事を伝えた。
ラジオ番組で田口の言う「テッペン取りたい!」にすかさず「KAT-TUNで取れや!!」と言った経緯や意味が繋がった。
でも最後に彼は言うんです。
10年後に会うなら6人かな。 あえて4人じゃないですね。 そのころも、みんな頑張ってるだろうから、笑いながら会って話せると思います、きっと
この人が大事にしているものを私も守らなきゃ。
この夢が叶うといいな、そう思っていたし、少し救われた気がした。
10周年を迎え、田口が抜け、
今度は充電期間が発表された。
3人になり、先がいよいよ不安になった。
そんな時に足を止めて欲しくなかった。
多分本人たちも勇気のいる決断だったと思う。
10周年ライブ10ksで涙を流し、強い眼差しで先を見る3人を見て、絶対大丈夫。何年でも待つ。と強い意志を固めた私は隣のハイフン姉さんとしっかり手を繋いだ。(笑)
充電期間中に出演した番組では、
CDデビューしてから、満足できた年は一度もなかった。
と語った。この言葉にどれだけの思いと勇気が詰まっているかと考えると切なくなって涙が止まらなかった。
ただ、充電期間というだけあって、
個々の仕事が着々と増えていき、
それぞれが刺激し合い力をつけていた。
でもそんな中で、聖の逮捕報道が流れる。
シューイチでコメントが求められた時に、
元々はそんな奴ではないので人間として越えてはいけない一線てのを理解していたはず。
僕の知っている限りでは100%そういうのに手を出す人間ではなかった
と元メンバーでもあり、友達でもある彼らしい言葉でコメントを残してくれた。
もうKAT-TUNじゃないんだから名前出さないでよ、とか、今大事な時なのに、とか、いろんな批判的な意見を鎮まらせてくれた素敵なコメントだった。
私は彼の誰も傷つけないマイルドさが本当に好きだった。
"頭がいい"という言葉では片付けてはいけない、これまでたくさん気持ちの伝え方に苦労した優しい中丸くんの努力の結果だと思う。
充電期間を終えたKAT-TUNが行った復活魂UNIONではこの上なく泣いてしまい、前半ほぼ覚えてない。(笑)
やっと帰ってきた、パワーアップしてからの姿は本当に凄まじい勢いで、充電期間が報われたと思った。
CAST、IGNITEと全国ツアーをしていき、確実に新しいKAT-TUNを昇華させていく。
田口の逮捕報道でのコメントも、
土下座を見つめる目も、
いつまでも慣れないその目の闇が晴れる事はないのかなってずっと思ってる。
ただなぁ〜今回ばかりはKAT-TUNへの裏切りもあったよなぁ〜なんて思っていた。
最初はなんとも思っていなかった。
またダンスナンバーで踊ってくれるんだろうなって思っていた。
けど、ファンの中である憶測が広がった。
途端にメッセージ性が強くなる。
もし、本当にそのこととは無関係で、
別の意味を込めてこの曲を作ったのだとしたら本当に申し訳ない。
けど私には、中丸くんの本心が知れたみたいですごく嬉しかった。
オブラートに包んで、柔らかい表現で物事を伝えるというパブリックな"中丸くん"ではない一面だった。
やっぱりそうだよね、そう思っていいんだよ。
それでも味方でいようとする姿勢。
反省し更生した先を望む彼の優しさ。
アブストラクトを聴く度に私はこの人の温かい心に触れられると思っている。
ここまで溜まっていく苦しみや、悲しみを乗り越えられるのは残されたメンバーとだけと話す。
大丈夫だよ、この2人は絶対離れないから。
人一倍頑固で、こだわりが強くて、
好きなこと、興味があることをとことん突き詰める。
誰も傷つけない柔らかい心を持ったこの人にもうあんな顔をさせたくない、頭を下げさせたくない。
とにかくそればかり考える。
シンメで心を許しきった上田くん。
オーディションの日からここまでずっと一緒の亀。
充電期間中、食事会の声をかけるのは必ず中丸くん。
不安や寂しさを話せば2人に宥められる中丸くん。
私はこの2人に甘えられる最年長で良かったと思う。
今の私に、
「中丸雄一のどこが好き?」
と聞いてください。必ずこう答えます。
「誰も傷つけないところ」
顔も声も話し方も笑い声も全て好きです。
でもあえて、一言で表現するならこれに限ると思います。
しめちゃんも同じ理由で好きになってしまった。
この2人には似た何かを度々感じる。
(それについてはまたいつか……)
メンバーといて、ライブで楽しそうにする姿。
KAT-TUNの3人が楽しそうに笑っていると本当に安心する。
私は、抜けていった赤西、田口、聖の3人を否定したり悪く言うつもりはありません。
KAT-TUNと同じくらい応援しているし、大好きだし…。
必ず6人で笑って再開してほしい。
それは全オタクの夢だから。
中丸くんに関して語りたい事は山ほどあります。
お化け屋敷が苦手とか、
ボイパの凄さとか、
細かい事にうるさいとか、
すごく良いところ、最高なところ、たくさんあるんです。
今までも、今も、これからも、私は愛しています。
13歳の少女だった私が、24歳のお兄さんに連れてこられた世界は、キラキラして眩しくて楽しくて、見たことない景色をたくさん見せてくれた。色んなことがあったけれども、この背中に付いてきて良かったなと思える12年間でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
また、これらを語る上で相応しくない表現などあったかと思います。すみません。
これからもこのブログをよろしくお願いします。